顔が丸くなったと、何人かに言われて焦っているこのりです。
いきなりですが、私には地元と言う感覚がありません。
小学校に転校をして、中学、高校と住む場所を転々としてきました。地元と一様言っている実家があるところには、幼馴染ぐらいしか知り合いはいません。なので、地元に帰りたい言う感覚もわかりませんし、成人式も参加しませんでした。
そんな私がふと思うことがあったのでまとめした。
1、帰省ラッシュで渋滞してでも、帰りたいものなのか
お盆、年末年始になると帰省ラッシュで交通渋滞が酷いです。新幹線も乗車率100%以上と立ち乗りの人がいるくらい人が移動しますよね。そこまでしてでも、人は地元に帰りたいものなのでしょうか。
お墓参り、親戚が集まるから、長期休みが取れないなどなど理由があるんでしょう。でも、そんな渋滞に巻きまれながら大変な思いをしてまで移動する必要があるのか?休みを少しずらせればいいのに…と冷ややかに見てしまいます。
2、地元にしばられているのでは?
私は、5月から千葉から高知に引っ越しました。場所が変わる事が、自分とって大きな決断ではなかったです。今まで、場所を転々と移動してたのでその一貫の気持ちでした。
でも、周りからは結構びっくりされました。
話しを聞くと、「地元から遠くに行きたくない」「両親が◯◯に住んでいるから」と言うのです。地元にしばられすぎませんか?
昔なら、1日かけて移動していたから遠くに住むのも抵抗があるのもわかります。今は、飛行機も新幹線もあって交通の便が格段に良くなってます。羽田から高知まで1時間20分で着来ます。都内でdoor to doorで1時間20分通勤している人もいるはず。通勤時間と変わらない場所で住むことが遠いとは思わないです。
しかもインターネットの普及で無料で電話もできますし、テレビ電話もできて心理的にも遠くなくなりました。
それでも、地元にしばられているようで不思議です。環境の変化に保守的になるのでしょうか…
もちろん、地元が好きで自分がしたいことが出来るならばいいんです。ただ、その場所、環境でしたいことが制限されているのならば、環境を変えるべきだと思うのです。
3、地元がないことが不幸ではない
地元がないっていうと、寂しそうだと思われます。実際は、そんな事はないです。
地元に帰って友人に会うことがないので、成人式の日は、友人と登山をしました。別の楽しみをつくればいいだけのことなのです。会いたい人に連絡すればいいので、場所に限定される必要性も感じません。
地元愛が分からないので、どう書けばいいのか分かりませんが…
ということで、私はヒョイっと高知に来ました。